目次
― プログラミング教育は、“正解探し”より「問い探し」がスタート地点になる
🧠 本記事が基づく教育法とその要素
教育法 | 活用された視点・キーワード |
📖 コンストラクティヴィズム | 自分の中の関心を軸にした学び/問いの自己生成 |
🌱 モンテッソーリ教育 | 興味・関心を観察し、自発的な活動を尊重 |
📚 PBL(プロジェクト型学習) | 問題発見から始まる探究のプロセス |
🧠 ハビット・オブ・マインド | 好奇心・柔軟性・問いの持続力の育成 |
🧩 よくある場面
- 「何でもいいよ」と言っても、「別に…」「分からない」と答える
- プログラミングで自由課題を出しても、手が止まる子
- 興味関心を聞いても、「特にない」と言う
→これは“やる気がない”のではなく、「自分の問いを立てる経験」が不足している状態です。
🔍 “問い”は生まれるものではなく、「育てる」もの

子どもがやりたいことが見つからないのは、
- そもそも「選んでいい」という経験が少ない
- 「問いを形にしていい」という感覚が育っていない
📖 コンストラクティヴィズムの視点
学びは、自分の関心とつながる「問い」から生まれる
→「何を知りたい?」「何が不思議?」から始めていいと知ることが、探究の第一歩。
🌱 モンテッソーリ教育の視点
「やりたいことが見つからない子」に対しては、「環境からの気づき」を大人が支援する
→“好き”を見つける前に、“触れていい環境”が必要。
📚 PBLの視点
「答えのある問い」ではなく、「自分で問いを作る力」が本質
✅ 家庭でできる!「問いの芽」を育てる3ステップ

①【問いの種をまく】
📌 ハビット・オブ・マインド的な問い習慣
🔸 実践方法
- 生活の中に問いを混ぜる会話例:
- 朝:
「ねぇ、この目覚まし、なんで“音”で起こすんだろうね?」 - 食事中:
「今日の味噌汁、味がしみてるよね。これって、どうやって味が染みると思う?」 - 外出中:
「あの信号、なんで赤→青→黄色の順なんだろう?」
- 朝:
- 週末の“問いノート”作り:
- 気になったことをメモ(例:「なんで紙は水に弱いの?」)
- 正解を調べるのではなく、「自分で考えてみる時間」を1分持つ
🎯 ポイント
正解を求めない。答えが出なくても「考えていい」と思える場が、“問い力”を耕します。
②【選べる選択肢を“見せる”】
📌 モンテッソーリ的「限定された自由」
🔸 実践方法
- 自由課題で詰まる子にこう聞く:
- 「今日は3つ提案があるよ。どれがよさそう?」
- 自分の生活を楽にするアプリを作る
- 好きな動物キャラのクイズゲームを作る
- ストーリーを読んだら反応するチャットボットを作る
- 「今日は3つ提案があるよ。どれがよさそう?」
- 選択肢を“視覚化”する:
- ホワイトボードにイラスト付きで選択肢を描いておく
- 「どれが一番“気になる”?」と主語を“興味”に置く
🎯 ポイント
完全自由は負荷が高すぎる。「制限付きの選択肢」=問いへの足がかりになります。
③【問いから逆算する設計】
📌 PBL的プロジェクト思考:答えでなく、問いから始める
🔸 実践方法
- 子どもが「特にない」と言ってもこう導く:
- 「誰かが困ってるとしたら、何を助けてあげたい?」
- 「○○(弟・妹・ママ・友だち)が喜ぶアプリって、どんなのがあるかな?」
- 問いから“形”を探す対話例:
- 子:「最近、おばあちゃん元気ないかも」
- 親:「そしたら、おばあちゃんが笑っちゃうプログラムってどんなの?」
- 問い→設計図ワークシート(家庭で手作り):
- 問い:「○○を解決したい」
- 誰の?:「○○のために」
- どうやって?:「コードで××を使ってみる」
🎯 ポイント
“コードは手段”。「人を喜ばせたい/変えたい」気持ち=問いの種になります。
💥 NG対応例【具体化と置き換え案】
❌ よくある声かけ | 🧠 子の受け止め方 | ✅ 置き換えアイデア |
---|---|---|
「何かやりなよ」 | 「やれって言われても、何を…?」→思考停止 | 「○○を“ちょっと変えてみる”としたら、どんなふうに変える?」 |
「好きなことやっていいって言ってるのに」 | 「“自由”が逆にこわい…」→無力感 | 「“今日のおすすめ3つ”から選ぶ?」または「○○をテーマにしたら何できそう?」 |
「自分のやりたいことくらい考えてよ」 | 「やる気がないと思われた」→自己否定 | 「“誰かのため”なら考えられそうなことある?」(関係性を軸に) |
✨まとめ:「“やりたいことがない子”は、“問いの種”をまく土壌が整ってないだけかも」

✅ 問いは「教えられる」ものではなく、「出会わせる」もの
✅ 「何がしたい?」ではなく、「何に気づいた?」から始める
✅ 家庭でできるのは、“問いに出会う日常”を仕掛けること