「計画どおりにいかないのは失敗じゃない」
——ミンツバーグの創発的戦略で
現場の知恵を会社の強みに変える
「立派な計画書があるのに、なぜか現場は違う動きをしている」
その”ズレ”の正体と、そこに潜む最大のチャンス
意図された戦略・創発的戦略・実現された戦略の3つを理解すると
現場から生まれた”偶然の成功”を意図的な強みに変えられる
創業28年。地元の一般住宅を中心にキッチン・浴室・内装のリフォームを手がけてきた老舗工務店。 二代目から会社を引き継いで12年になる桜井誠(62歳)社長は、毎年10月になると 来期の「中期経営計画書」を作成し、幹部会議で発表するのが習慣だった。
しかし3年ほど前から、計画書の中身と現場の動きがじわじわとかみ合わなくなってきた。 計画書には「一般リフォーム受注件数の拡大」「新規顧客比率30%以上」と書かれているが、 実際に受注が伸びているのは「高齢者向けバリアフリーリフォーム」だ。 きっかけは、入社4年目の若手営業・田村雄介(27歳)が、 担当顧客の親御さんの介護問題に向き合うなかで自分なりに手すり設置や段差解消のノウハウを習得し、 口コミで広まったことだった。
今では地域のケアマネジャーからの紹介が増え、バリアフリー案件の利益率は 一般リフォームの1.4倍にも達している。だが、社長の計画書には「バリアフリー」の文字はない。 「自分が計画していないことで業績が伸びるのは……なんだか落ち着かない」—— 桜井社長は複雑な表情でつぶやいた。
この状況を整理するカギとなるのが、カナダの経営学者ヘンリー・ミンツバーグ(Henry Mintzberg)が提唱した「創発的戦略(Emergent Strategy)」の概念です。ミンツバーグは「戦略とは、事前に計画されたものだけではなく、現場の行動パターンの積み重ねから事後的に浮かび上がるものでもある」と主張しました。
この視点で見れば、田村さんのバリアフリー実績は「計画外の偶然」ではなく、会社が気づいていなかった戦略の芽です。本記事では、ミンツバーグの理論をサクライホームのリアルな状況に重ね合わせながら、現場から生まれた知恵を組織の強みに変えるための実践的な方法を解説します。
📋 目次
🔍1. 「計画=戦略」という思い込みが招く機会損失
「戦略とは計画することだ」という考え方は、長い間、経営の常識として広く信じられてきました。しかし現実の経営現場では、計画通りに進む事業はほとんどないというのが多くの経営者の実感ではないでしょうか。
1-1. サクライホームで起きている「3つの問題」
田村さんのバリアフリーノウハウは個人の属人的スキルに留まっている。会社の公式戦略ではないため、他の営業担当に引き継がれず、田村さんが辞めたら消えてしまうリスクがある。
田村さん自身も、内山部長も、「会社の方針ではない」という引っかかりがあり、積極的に投資・展開できていない。成果は出ているのにアクセルを踏めていない状態。
毎年作成される中期経営計画が、実際の事業の動きを反映していない。計画書を見ても「今何が起きているか」が分からず、経営判断の精度が落ちる。
桜井社長の「計画外のことで伸びても落ち着かない」という感覚は、「計画から外れることは経営の失敗だ」という無意識の思い込みから来ています。この思い込みが続くと、現場の最も重要な発見が「報告しにくい空気」の中で埋もれていきます。ミンツバーグの理論は、この思い込みを根本から解きほぐしてくれます。
1-2. 会議室で起きているすれ違い
このすれ違いの根本には、「戦略は計画から生まれる」という社長の信念と、「戦略は現場の行動からも生まれる」という現実のギャップがあります。ミンツバーグはまさにこの問題に正面から向き合いました。
📚2. ミンツバーグの戦略論——意図された戦略と創発的戦略
理論の核心ヘンリー・ミンツバーグ(Henry Mintzberg)は、1978年の論文「Patterns in Strategy Formation」で、従来の「計画としての戦略」観に根本的な問いを投げかけました。彼が明らかにしたのは、実際に「実現された戦略」は2つの源泉から成り立つという事実です。
2-1. ミンツバーグが問いかけたこと
ミンツバーグが指摘した最も重要な点は、「純粋に計画通りに実現された戦略など、ほとんど存在しない」ということです。彼が調査した企業の多くで、計画通りに実行されたのは意図された戦略の一部にすぎず、実現された戦略の相当部分は現場の試行錯誤から生まれた創発的戦略が占めていました。
「戦略とは計画するものではなく、形成されるもの(Strategy is not planned, it is formed)だ」
この言葉が意味するのは、「計画を捨てろ」ということではありません。「計画だけが戦略の源泉だと思うな」ということです。優れた経営者は、意図的に計画を作りながらも、現場から浮かび上がるパターンを敏感に察知し、それを戦略として取り込む柔軟性を持っています。
2-2. なぜ中小企業に「創発的戦略」が多いのか
実は、創発的戦略は中小企業でこそ豊富に生まれやすい土壌があります。大企業と比べて意思決定階層が少なく、社長・管理職・現場担当者の距離が近いため、現場の発見がすぐに行動につながりやすいからです。しかし同時に、「計画を重んじる文化」が強い会社ほど、その創発の芽が踏みにじられやすいという逆説も存在します。
- 社長・現場の距離が近く、情報が早く伝わる
- 現場担当者が顧客と密接に向き合っている
- 大企業より意思決定が速く、試行錯誤しやすい
- 部門間の壁が低く、偶発的なコラボが起きやすい
- 顧客ニーズの変化を肌感覚で掴みやすい
- 「計画にないこと=承認されないこと」という空気がある
- 現場の発見を共有・議論する場が設けられていない
- 社長が「計画の番人」になっており、現場が萎縮する
- 担当者個人のスキルで終わり、組織知にならない
- 成功の再現性を検証せず、偶然のまま放置される
🔲3. 5つのPで「戦略」の多面性を理解する
理論の核心ミンツバーグはさらに、「戦略」という言葉の多義性を整理するために「戦略の5P(Five Ps for Strategy)」を提唱しました。これを理解すると、「計画だけが戦略ではない」という感覚がより具体的に掴めます。
意図的に策定された行動指針・計画書。「これからこうする」という未来への設計図。
過去の行動の一貫したパターン。「結果的にこう動いていた」という事後的な戦略。田村さんのバリアフリー対応が「パターン」として認識されることがこれ。
市場・競合の中での自社の位置取り。「どこで戦うか」を示す外向きの戦略。
組織が共有する世界観・価値観。「私たちはこういう会社だ」という内向きの信念。文化・理念に近い層。
競合や顧客へのシグナルとなる特定の策。短期的な戦術的行動も「戦略」の一側面。
桜井社長が認識している「戦略」は主にPlan(計画)です。しかし会社の現実を見ると、田村さんの活動によってPattern(バリアフリー対応という行動パターン)が生まれ、Position(高齢者住宅改修の地域専門店というポジション)が形成されつつあります。「計画」という1つのPだけで会社の戦略を見ていると、残りの4つのPに現れた重要な変化を見落とします。
🏠4. サクライホームの現状を3つの戦略タイプで整理する
理論を踏まえたうえで、サクライホームの現状を「意図された戦略」「創発的戦略」「実現された戦略」の3層で整理してみましょう。客観化することで、何を「拾い上げる」べきかが見えてきます。
| 戦略タイプ | 内容 | サクライホームの現状 |
|---|---|---|
| 🗓️ 意図された戦略 (Intended) |
社長が計画書に書いた方針。「一般リフォーム件数の拡大」「新規顧客比率30%以上」「チラシ強化」 | 毎年10月に作成される中期経営計画書の内容。しかし現場への浸透度は低く、計画書が独り歩きしている。 |
| 💡 創発的戦略 (Emergent) |
計画になかったが現場の行動パターンから浮かび上がった戦略。「高齢者向けバリアフリーリフォームへの特化」 | 田村さんが個人的に習得・展開。ケアマネジャーとの連携・口コミ紹介・利益率1.4倍という成果が既に出ている。しかし「公式」ではない。 |
| 🏆 実現された戦略 (Realized) |
実際に行動され、成果が出たもの。意図的戦略と創発的戦略の合計。 | 一般リフォームは横ばい(意図的戦略の部分実現)+バリアフリーが成長牽引(創発的戦略)。会社の実態は「バリアフリー特化が伸びている会社」になりつつある。 |
4-1. 「創発の芽」を見極める3つの問い
すべての「計画外の動き」が創発的戦略の候補になるわけではありません。単なる例外や一時的な流れと、戦略として育てるべき芽を見分けるために、以下の3つを確認しましょう。
再現性はあるか——「偶然の1回」か「繰り返せるパターン」か
田村さんのバリアフリー案件は、たまたま1件取れたのではなく、ケアマネジャーからの継続的な紹介という仕組みができ始めています。同じアプローチを他の営業担当者でも試せるかどうかが、「創発の芽」かどうかの最初の判断基準です。
差別化につながるか——他社が簡単に真似できない要素があるか
バリアフリーリフォーム自体は珍しいものではありませんが、ケアマネジャーとの信頼関係・介護現場のニーズへの深い理解・工事部長の技術力の組み合わせは、簡単に模倣されません。競争優位の源泉になりうるかを確認します。
拡張性はあるか——会社として投資・展開できる余地があるか
田村さん個人の取り組みを会社として広げるために必要な投資(研修・認定取得・パートナー開拓など)が現実的かどうかを見極めます。また、市場規模・地域需要との照合も必要です。
3つの問いすべてに「あり」と判断できました。社長の「計画外で落ち着かない」という感覚は理解できますが、この芽を放置することの方が、経営リスクとして深刻です。次のステップは、この創発的戦略を「意図的に育てる仕組み」を作ることです。
🛠️5. 創発的戦略を「意図的に育てる」6つの実践ステップ
ミンツバーグの理論は「創発をそのまま放置せよ」と言っているのではありません。「創発から学んで、それを次の意図的戦略に取り込め」という積極的なサイクルを求めています。以下の6ステップで、その仕組みを作りましょう。
「計画外の成功」を定期的に棚卸しする場を設ける
月1回、「計画にはなかったが、うまくいったこと」を共有するための短い場(15〜20分)を設けます。この場では評価や分析ではなく、まず「事実の共有」だけを行います。桜井社長がこの場を設けるだけで、田村さんのような現場担当者が「報告してもよい空気」を感じられるようになります。
「創発の芽」の評価基準を明文化する
「面白いけど方針外だから」という曖昧な却下をなくすために、創発的な取り組みを評価するシンプルな基準を作ります。前のセクションで紹介した「再現性・差別化・拡張性」の3点でスコアリングすると、感情論ではなく事実ベースで議論できます。
担当者の「暗黙知」を言語化・共有する
田村さんが積み上げたバリアフリーのノウハウは、今のところ彼の頭の中にある「暗黙知」です。これを「マニュアル・事例集・チェックリスト」などの形で言語化・形式知化することで、組織全体の資産になります。田村さん自身が退職・異動した場合のリスクヘッジにもなります。
「小さな正式化」で創発を認める
いきなり「バリアフリーを全社戦略にする」と宣言する必要はありません。「今期はバリアフリー案件を試験的に強化する」「田村担当の事例を社内報で紹介する」など、小さく公式化することから始めましょう。現場は「認められた」と感じ、取り組みが加速します。
計画書のフォーマットを「結果として更新する」ものに変える
多くの中小企業の計画書は「期初に作って期末に振り返る」形式です。これを「四半期ごとに実現された戦略を確認し、創発的な動きを記録して次の計画に組み込む」形式に変えます。計画書が「設計図」ではなく「学習の記録」になることで、計画と現実のズレが資産に変わります。
社長自身が「計画外の発見を歓迎する」姿勢を示す
最終的に最も重要なのは、社長の言動です。桜井社長が「計画外でも成果が出ればそれは立派な戦略だ」「田村くんの動きから学ぼう」という言葉を経営会議で発するだけで、組織全体の創発への感度が劇的に変わります。リーダーの承認が、組織学習の最大のスイッチです。
🔗6. 関連理論との接続——組織学習・SECIモデルとの組み合わせ
ミンツバーグの創発的戦略論は、組織の「学習能力」と深く結びついています。ここでは特に中小企業の実践に役立つ2つの関連理論との接続を整理します。
6-1. アージリス&ショーンの「組織学習」との接続
クリス・アージリス(Chris Argyris)とドナルド・ショーン(Donald Schön)が提唱した「組織学習(Organizational Learning)」には、2つのレベルがあります。
シングル・ループ学習
「目標・計画に対して実績を評価し、やり方を修正する」学習。例:「チラシを出したが反応が薄かったので、内容を変える」
→ 計画の枠内での改善。意図的戦略の精度を上げる。
ダブル・ループ学習
「目標・計画そのものが正しいかを問い直す」学習。例:「そもそも一般リフォームの拡大が正しい目標なのか?バリアフリーこそ主力ではないか?」
→ 創発的戦略を計画に取り込む際に必要な学習。
ミンツバーグとの接続
創発的戦略を活かすにはダブル・ループ学習が必要。「計画通りに実行できたか」だけを振り返る(シングル)のでは、計画の枠を超えた発見を拾えない。「計画自体が正しかったか」を問う習慣が創発を活かす。
6-2. 野中郁次郎のSECIモデルとの接続
一橋大学の野中郁次郎が提唱したSECIモデルは、「暗黙知(個人の経験・勘)」を「形式知(言語化・マニュアル化されたもの)」に変換して組織全体の知識にするプロセスを示したモデルです。
| SECIの4プロセス | 内容 | サクライホームでの実践例 |
|---|---|---|
| ① 共同化 (Socialization) |
暗黙知→暗黙知。体験・観察を通じた暗黙知の共有。 | 田村さんが他の営業担当をケアマネ訪問に同行させ、「現場感覚」を体験させる。 |
| ② 表出化 (Externalization) |
暗黙知→形式知。言語・図・マニュアルに変換する。 | 田村さんの「ケアマネ開拓術」「バリアフリー提案フロー」を文書化・チェックリスト化する。 |
| ③ 連結化 (Combination) |
形式知→形式知。既存の知識と組み合わせ、より体系化する。 | リフォーム全体のノウハウとバリアフリーの知識を組み合わせ、「高齢者住宅改善提案パッケージ」を作成する。 |
| ④ 内面化 (Internalization) |
形式知→暗黙知。文書化された知識を全員が体得する。 | 全営業担当者・工事担当者がパッケージを使って案件に取り組み、自分のスキルとして習得していく。 |
現場で創発的戦略が生まれる(ミンツバーグ)
↓
「なぜうまくいったか」をダブル・ループで問い直す(アージリス&ショーン)
↓
個人の暗黙知を組織の形式知へ変換・共有する(野中SECIモデル)
↓
次の計画(意図的戦略)に創発の学びが組み込まれる
↓
また現場で新たな創発が生まれる……
この循環こそが、「学習する組織(Learning Organization)」の姿であり、変化の激しい市場で生き残る中小企業の本質的な強さです。
✅7. まとめ・自社チェックリスト
7-1. 自社の「創発力」を診断する10のチェックリスト
-
1「計画外だが成果が出ていること」を経営会議で共有する習慣があるか 創発を拾う最初のステップ。この場がないと、現場の発見は個人の中で消えていく。
-
2社長・上司が「計画外の成功」を叱ったり無視したりしていないか リーダーの反応が、現場担当者が「次も報告しようか」を決める最大の要因。
-
3特定の担当者だけが持つ「勝ちパターン」が言語化・共有されているか 属人化したノウハウは会社の資産ではなく個人の資産。担当者が辞めたら消える。
-
4年度計画の振り返りで「計画通りだったか」だけでなく「何を新たに学んだか」も確認しているか シングル・ループからダブル・ループへの移行。「計画の番人」から「学習のリーダー」へ。
-
5現場担当者が「面白い顧客ニーズを発見した」と気軽に報告できる雰囲気があるか 心理的安全性が、創発的戦略の土台。報告しにくい文化では創発の芽が育たない。
-
6過去3年の「想定外の成功案件」をリストアップできるか そこに創発的戦略の候補が眠っている。棚卸しをしたことがない会社は多い。
-
7「試しにやってみる」の予算・枠組みが経営として認められているか 創発を「小さく試す」許可がないと、現場担当者は動けない。実験的取り組みの予算枠が重要。
-
8計画書を「前期と同じ形式で作り直す作業」になっていないか 計画書が惰性で作られると、創発から学んだことが次の計画に入らない。
-
9顧客から「こんなことはできますか?」という想定外の依頼を記録しているか 顧客の予期せぬ要望こそ、次の創発的戦略の種。記録がなければ宝を捨てているのと同じ。
-
10「創発から学ぶ」ことが、経営者自身の成長テーマになっているか 最終的に組織学習のレベルは、リーダーの学習姿勢で決まる。社長が一番の「学習者」であることが理想。
チェックが7〜10個:創発的戦略を活かす土壌が整っている。次のステップは「創発→計画への組み込みサイクル」の精度を高めること。
チェックが4〜6個:部分的に創発を拾えているが、組織的な仕組みが不足。「現場発見共有の場」と「計画書の更新ルール」から着手を。
チェックが0〜3個:計画中心の文化が強く、創発が埋もれている可能性大。まずは社長自身が「計画外の成功」を1つ取り上げて公式に褒めることから始める。
📌 この記事のまとめ
- ミンツバーグは「実現された戦略」は意図的戦略(計画から来るもの)と創発的戦略(現場から生まれるもの)の両方で構成されると示した
- 「計画通りにいかないこと」は失敗ではなく、次の戦略の種が現れているサインかもしれない
- 創発の芽を「育てるべきか」の判断には再現性・差別化・拡張性の3点で評価するのが有効
- 戦略の5P(Plan・Pattern・Position・Perspective・Ploy)を知ることで、計画書1枚では見えない戦略の全体像を把握できる
- 組織学習のダブル・ループと野中のSECIモデルを組み合わせることで、現場の暗黙知を組織の競争力に変換できる
- 最大のボトルネックは社長の「計画外を歓迎する姿勢」。リーダーが変わると、組織全体の創発力が一変する
